安藤 帰国されどのような経緯で今現在に至るのですか。
橋谷 アメリカで8年間過ごし、26歳で帰国するのですが幼い頃から「砂糖屋さんの息子」と呼ばれ続けていたこともあり、いつかは会社を継ぎ、老舗企業の当主として頑張っていくという意識はありました。帰国後、会社に入り、新しいことにチャレンジしようと意気込んでいたのですが、配送業務、トラック運転の補助からのスタートでした。「日本の大学を出ていないから、給料も高卒と同じだ」と父親でもある3代目社長に言われました。私を甘やかさなかったですね。アメリカとの環境の違いもあり、会社に入って不貞腐れていたのですが、妻に何気なく「食」ってオシャレだよね、と言われてハっとしました。食というのは、毎日皆さんが口にしているもので、文字通り「人を良く」しなければいけません。仕事面で物流の事しか考えておりませんでしたが、食べ物を口にする人たちの喜びに携わるすばらしい仕事だと思うようになりました。
安藤 今現在、具体的にはどのような考え方を持って事業を進められているのですか。
橋谷 お客様はパン屋さんやケーキ屋さんが多かったこともあり、砂糖だけでなく、時代の流れに合わせ小麦などの取り使いを強化していきました。新規事業を立ち上げるよりも、今お付き合いのあるお客様に対して、「いかに商品のラインアップを増やしてご提案できるか」に重きを置くようにしました。例えば、パン屋さんにはパン切り包丁は売っていません。「じゃあ、どこで買えるのか」という話になりまして、包丁メーカーさんをご紹介いただき、試験的にパン屋さんに、パン切り包丁を置いてもらいました。結果、パン屋さんの売上にも貢献することができました。そのようにお客様の先にいるお客様を意識して、今までにない発想の商品をご提案していきたいと考えています。また、時代の流れとは逆行するような仕組みかもしれないですが、お客様の営業担当を極力替えることなく、終身担当制とし、キメの細かいサービスを提供しています。
安藤 スリム化が主流の中、終身担当制とは珍しいですが、どのようなメリットがあるんですか。
橋谷 例を挙げると弊社の納品は、ほぼ自社便での納品ですが、小麦で25㎏、砂糖は30㎏と非常に重いです。外注の便で出すと古い粉の上に、新しい粉を置いて納品してクレームに繋がるケースがあります。弊社ではそれは絶対にNGです。また、先程の新しい商品などのご提案なども、それぞれのお客様の特徴をしっかり理解していないと、とても提案はできないかと思います。今の時代だからこそ、そういった普通のことが一番の強みになると思っております。
安藤 問屋としての姿を持ち続けるということですね。
橋谷 その通りです。お客様の中には、在庫をストックしておくスペースが確保できないケースもあります。弊社は1927年(昭和2年)より倉庫業もスタートさせておりますので、自社内で在庫を多く抱えておけば、結果的にお客様の倉庫代わりの役割も担うことができます。
安藤 当然、在庫を多く抱えることはリスクもありますね。
橋谷 リスクはありますが、自社倉庫を持つ弊社ならではのサービスになっていると思いますし、東日本大震災の際も大きな影響なく、お客様に安定して商品をご提供することができました。そのような細かな付加価値を積み上げていけば、お客様とのゆるぎない信頼関係が築けると思っていますし、逆に信頼関係が無ければこのようなことも出来ないわけです。さらに、2年ほど前より、海外マーケティングなども手掛けるようになりました。お取引のあるお客様の商品を、香港などのバイヤーさんにご紹介するサポートもさせていただいております。老舗として、本来あるべき問屋業とは何なのか。という部分を愚直に進め、一方でお客様の目線に立ったご提案を一緒に考えていく。この伝統と革新を意識しながら、常にビジネスを展開しております。
安藤 本当のお客様が誰なのか。そう意識していくということですね。問屋でそこまで考えて実践されているのは凄いです。今後のヴィジョンについてお聞かせください。
橋谷 創業の地でもある函館と何かリンクできないか。地域のライフスタイルを向上させるような取り組みができないか。と考えるようになりました。アメリカにいた際、様々な国の人達と会うのですが、誰もが自分たちの生まれた街に誇りを持っており、地域のプロスポーツチームの話だったり、地元の自慢をしたり、自分の街のことを知ってもらいたい、そんな意識を皆が持っていました。当時の自分は、函館のことを伝えることができず、少し残念な気持ちになりました。帰国後も、生まれ育った街をもっと誇れるよう、地元をもっと活性化して盛り上げられるよう、そういった意識は常に持っていました。函館は保守的な印象がありますが、アメリカ在住の経験を活かして、人が自然と集まれるような場所で新しいライフスタイルを提案し、街をもっと面白くすることができないかと常々思っていました。そこで、昔から所有していた温泉のある1400坪の敷地で古い料亭のあった場所に『LA・CACHETTE(ラ・カシェット、フランス語で隠れ家という意味)』というヴィラ(Villa)をオープンすることにしました。観光では旅をより満喫できる宿として、地元にはワンランク上のイベントスペースとして使用していただき、函館の街に少しでも刺激を与えていければと思っています。この取り組みは『函館 湯の川ヴィラプロジェクト(HYV)』として、今後も広げていきたいと考えています。
安藤 アメリカでの経験が活きているわけですね。
橋谷 屋号でもある「ダイボシ(大星)」と呼ばれ、地域に広く親しまれてきました。「大」という文字は「人」に「橋(一)」を掛けており、その下に星があります。そんな屋号のように、モノとモノ、ヒトとヒトを繋ぐ架け橋になり、キラキラ輝かせる星を生み出したいとも思っています。このような巡り合わせも大事にしながら、4代目社長として120年続いてきた企業を、伝統を守りながら革新を続けていければと思っています。
橋谷秀一
橋谷株式會社
代表取締役社長
高校までを函館で過ごした後、アメリカの大学に入学。商社に4年間務め、マーケティング担当をし帰国。異文化交流により培ったコミュニケーション能力を活かし、ヒトやモノの架け橋となり、生まれ育った地元北海道を盛り上げるべく日々邁進中。
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