"文明の開発は紙1枚から始まる"と文具事務用品の卸売りから始まり創業62年。規模の縮小という困難期に後を継いだ代表取締役社長の石川京美、自社の立て直しのために取り組んだ3S(整理・整頓・清掃)が、あらゆる業務の改善につながることに気が付いたという。人が好き、沖縄が好きな社長に、叩き上げブランディング・プロデューサーの安藤竜二が迫った。

安藤竜二(以下安藤) はじめに「株式会社いしかわ文明堂」の創業について教えてください。

石川京美(以下石川) 戦後、焦土と化した沖縄の地で生きるための糧を得るため、創業者のひとりである石川元繁が煙草の行商を始めたのがスタートです。湾内に沈んだ軍艦から、当時は建築資材として不足していた釘を取り出し売りさばいたり、ザラメが欠如していたので砂糖商を行ったり、薬品の販売をしたりと、様々な商売を手がけていました。時代の風を捉えるのが上手く、行動力もあり、アイディアマンでもあったようです。昭和27年(1952年)、"薬品で百円儲けるのも文具で百円儲けるのも同じならば、いっそのこと教育文化に貢献する文具店を"と奮起し、長男・石川元安、次男・石川元繁、三男・石川元喜で那覇市牧志3丁目(平和通り)に「石川文明堂」を開店しました。ちなみに文明堂という名前は、"文明の開発は紙1枚から始まる"という考えから命名したそうです。

安藤 創業者の方は非常にアクティブに動かれたわけですね。そこからどのように現在の展開に繋がっていくわけですか。

石川 石川文明堂を設立した当時は物のない時代で、しかもアメリカ統治時代でしたから、日本本土からはLC(輸入の際の信用状)を組んで商品を仕入れていました。「文明ノート」などオリジナルノートも作っていて、事業は順調に推移していきました。祖国復帰の年(1972年)大手文具メーカーとの総代理店契約を期に大きく躍進していきました。ところがその後(2006年)、メーカーとの経営方針の違いから総代理店返上ということになり、規模も10分の1に縮小。卸売業から直ユーザー様への納品業となりました。現在は、パーティションやOAフロアなど建築資材販売やオフィスのリフォームを行う石川文明堂株式会社(通称IKB)と、3S(整理・整頓・清掃)を基軸とした事務用品、コピー機などの事務機器の販売をしている株式会社いしかわ文明堂というふたつの会社で、それぞれの強みを生かしたブランド開発を行っています。

安藤 様々な困難を経験された中で、凄く面白い取り組みだと思いますが、石川社長はどのようにこのお仕事に関わりを持たれたのですか。

石川 現会長である夫の石川元義より、「会社に新しい風を吹かせてほしい」と声を掛けられ、2006年に入社したのですが、実は17年間、薬剤師をやっておりました。風邪で熱が出るのはウィルスを殺すために必要なのに、解熱剤で安易に熱を下げたり、滋養強壮のために毎日栄養ドリンク剤を飲んだり、薬に頼りすぎている現状に疑問を感じ、もっと体の根本から改善していかなければ…と思うようになりました。本来人間が持つ治癒力や昔から引き継がれてきた知恵によって、体を健康にしていきたいと思い、マクロビォテックの沖縄版レストランを展開し、体の土台作りのお手伝いをしたいと店舗を探していました。ちょうどそのタイミングでひとつの出逢いがありまして、なぜか非常勤講師として沖縄大学で教鞭をとることになりました。大学生の基礎学力の低下対策に新設された学科で、学力の土台創りのお手伝いを6年間させて頂きました。今現在は、いしかわ文明堂において、企業の土台作りのお手伝いをさせていただいておりますから、薬剤師時代に培った部分がだいぶ引き継がれているかと思います。