古い、汚い、プライバシーがない…下宿につきまとうマイナスのイメージを払拭。新しいタイプの下宿「ゲストハウス」を北海道から発信しているケントクリエーション株式会社。代表の吉田浩憲は住宅会社で数々の実績を挙げた後、下宿運営へ。『下宿は教育の場』と語る吉田の熱い想いに、サムライ日本プロジェクトの安藤竜二が迫った。

安藤竜二(以下安藤) 起業されるまでは、どんなお仕事をされていたのですか?

吉田浩憲(以下吉田) もともと建築に興味があり、大学は建築科に入学しました。当時はとにかく図面を描くのが好きで、設計事務所でアルバイトもしていました。ある日、アルバイト先で、急遽住宅展示会の説明員に駆り出されました。事務所で線を引くことしかやっていませんでしたので、詳しいことも分からないまま、その時はとにかく必死で説明していたのを覚えています。そんな私の話を、お客さんがにこにこしながら聞いてくださるんです。そこからですかね、お客さんと住宅の話をするのが好きになりまして。お客さんにとって、一生のものとなる家づくりは、非常にやりがいのある仕事だと感じて、住宅会社に入社しました。

安藤 入社後は営業をやられていたのですか?

吉田 建築科を出ていたので、はじめに配属されたのが、設計と現場全般。原価計算から、設計、現場の管理など2年ほど基礎を学びました。その後、1984年に関東営業部に転勤になり、営業に切り替わりました。私自身、設計や工事を経験してから営業職に就きましたので、お客さんに対して、きちっと説明できる営業ができたわけですね。一戸建て住宅からビルまで手がけ、お客さんが徐々に増えていきました。ちょうどバブル前でしたから、東京自体も活気があり、建設ラッシュでした。そこで、道路の拡幅工事が多く行われていたことに着目し、他の建設屋や住宅メーカーよりもいち早く情報を役所でもらって、工事予定の所に対して営業アプローチをしていく仕組みを独自に取り入れました。おかげで、大量の受注が取れ、1988年には売上棟数で全国1位(半期6ヶ月で48棟、19億7,000万円)となり、社長表彰をいただきました。
 1993年に北海道営業部に移り、営業の経験を生かしながら、今度は低層2・3階建てアパートの建て替え、新築などの土地活用・資産運用の部門に携わりました。実は、私自身も東京時代の1990年に旭川にアパートを持ち、有限会社創建という不動産管理会社を設立していたんですね。当時、札幌の郊外あたりですと、結構空いている土地がありましたので、地主さんに声をかけて土地活用の提案をしました。この時も函館営業所グループで売上全国1位になり、1997年に社長表彰をいただきました。

安藤 全国1位の売上を獲得、そして自身でもアパート経営をされていたのですか。まさに住宅のスペシャリストですね。そんな吉田社長が現在の会社を起業したきっかけは?

吉田 2002年に大阪の海外事業部に転勤になりました。非常に面白い部署でしたが、このとき、家庭の事情でどうしても札幌に戻らないといけないことになり、退社を決意しました。仕事を辞めて何をしようかと考えていた時に、今まで行なってきたアパートの入居者管理業務は契約書を交わしたら終わり、そこに住んでいる人の顔もわかっていなかったことに気づいたのです。そんな中、管理人が住み込んでいて、学生がいて、その中に生活感が見えるという下宿業に大きな魅力を感じました。そこで、札幌市内にある「ウイング東海」という下宿を新たに購入。それまでの有限会社創建から社名をケントクリエーション株式会社に変更し、賃貸料をいただくだけのアパート経営から下宿業へと移り変わりました。

安藤 人とのふれあいを求めて下宿をはじめられたのですね。

吉田 はい、その通りです。また、これまで土地活用に携わってきた中で、少ない坪数で世帯数を多く取れる下宿は、アパートやマンションよりも利回りが平均3割高いことに気がついたのです。ビジネス的にもこれはやりがいがある、そう思って下宿を購入したのですが…。なんと、オーナーが私に切り替わった時に、春に半分以上の入居者が出ていってしまいました。困り果てた私は、同業者である他の下宿屋さんに運営のアドバイスを求めにいきました。そこで皆さんから聞かされたのが、「学校に頼るしかない」という返答。でも学生を入居させるには、次の春まで待たないといけない。そこで、空部屋を他に何かに使えないかって考えたのです。その時は、本当に下宿という名のつくところを全部まわっていて、ちょうど高齢者用の下宿を訪ねた時に、お試し下宿(ショートステイ)というサービスをやっていたのですね。ああ、こういうやり方もあるのだと思い、それからは一般の方へ向け空部屋の短期利用を提案していきました。

安藤 同業者に聞きに行ったわけですね。もともと下宿屋さんだったらそんなことは、できなかったでしょう。社長の持ち前のバイタリティーで行動したんですね。

吉田 そうやって営業する中で、ある大手建設会社の方との出会いがありました。彼は今までホテル、旅館、民宿などを使い、1泊2食付き7,000円以上を支払っていましたが、その半分以下の金額で宿泊できる「ウイング東海」を利用されてすごく気に入ってくださり、企業の経費節約にもつながるため、お得意様になっていただきました。しばらくして彼に、「今度違う現場があるけれど、そっちにも泊まれる所ないの」って尋ねられたんです。少子化や学校の統廃合で、学生の絶対数が減ってきている中、どこの下宿屋も空室に悩んでいると思い、下宿屋に電話・訪問をして、社会人の短期入居者を紹介しました。建設会社の彼にとって、他の宿泊施設と比べ安いこと、そして、どんな現場でも電話1本で宿を手配してくれる手軽さが魅力に。また、下宿屋にとっても、学生が入るまでの間の空部屋を有効活用できるWIN・WINの体制となりました。最初は、4、5軒の下宿屋さんとのお付き合いだったのですが、それがどんどんと広がり、今では北海道、東北地区で4340室の紹介実績を誇るまでになりました。

安藤 一つの出会いが大きなビジネスへと変わったんですね。でもそれは、社長が常に現状を把握し、そこでどうすればいいか、考えていたからですよね。

吉田 うちも困っていたから考えたんですよ。例えば、これが初めから満室でしたら、ここまで大きな展開にはならなかったと思います。今となればあのとき、空いていて良かったなと思いますね。
 その後「ウイング東海」にも高校生や大学生の入居者が増えていき、2年後の春ようやく満室にすることができました。自分自身、きちっと利回りがとれることが分かった上で、今度は資産運用としての下宿を提案し、オーナーを募集。そうやって運営管理をする下宿の数を徐々に増やしていきました。