地方には頑張っている中小企業が数多くある。しかし、自ら発信する術を知らなければ、それが日常であるが故に気付いてさえいない人も多い。そんな埋もれている企業や人を掘り出し、取材しメディアに取り上げて広く発信している人がいる。株式会社ライフワークスの堀 雅司だ。作り上げたネットワークとプロの技術を武器に、映像で端的に伝える。その堀が目指す未来とは。叩き上げブランディングプロデューサー安藤竜二が切り込む。

安藤竜二(以下安藤) まずは堀さんご自身のことから教えていただけますか。

堀 雅司(以下堀) 1959年に岐阜県恵那市で生まれ育ちました。大学は豊橋市の愛知大学文学部へ。そこで演劇研究会に所属し、大学3年生の時には休学して東京・世田谷の劇団に住み込みで在籍するほど芝居に没頭していました。当時は、役者をやりながら好きで台本も書いていたんです。でもある日、京王線に乗ってたら、僕は雪駄履きにTシャツ、ジーンズなんですが、同年代の人たちがスーツをビシッと着ていたのを見て「これはまずいな」と思ったんです。このままでは僕は飯を食っていけないのではと思ったらすごくみじめな気がしてきて、ちゃんと働きたいと思い芝居にキリをつけて大学に戻りました。

安藤 大学へ戻り卒業後、今の仕事でもある制作会社へ就職されたのですか。

 元々ものを書くのが好きなのもありテレビ局などのマスコミを受けたのですが、当時は今よりも狭き門でしたので諦めて、日本通運株式会社航空事業部に入社しました。そこで、君は笑顔がいいからという理由で静岡支店の海外旅行課に配属されたんです。その支店は小さく少人数だったため、営業から手続きなど新人の僕でもいろいろなことをやらせていただきました。入社3カ月後には海外へ添乗に出かけ、2年間で添乗経験20回は同期の中で断トツ1番だったと思います。
 仕事には何の不満もなかったのですが、大学時代の演劇仲間が名古屋のテレビ業界にいて、ある時、制作会社を紹介してくれたんです。それがきっかけでものを作りたいという思いがどんどん大きくなって、1年間悩んだ末、社員4万人の会社を辞めてたった4人の制作会社へ転職しました。そこでテレビ番組の制作を中心にいろいろなことを学んだんです。

安藤 思い続けることで道は繋がるんですね。では、創業までのいきさつを教えていただけますか。

 25歳の頃から転職した制作会社でテレビ番組の制作に携わり、35歳で会社を辞め独立、個人事務所として『堀事務所』を設立しました。恵那で材木業を営んでいた実父、名古屋でバイク屋を経営していた妻の父と二人とも自営業だったためか、「頑張れよ。自営業は我慢が大切だぞ」と後押ししてくれたんです。そして、フリーランスのディレクターとして数多くの番組・企業VP・行政機関VPなどを15年間個人でしてきたのですが、業務の拡がりに伴い法人化し2009年に『株式会社ライフワークス』を創業しました。

安藤 理解者がいるのは心強いですよね。具体的に現在どのような仕事をされているのですか。

 個人事務所時代、地域で頑張っている人と出会い、その物語を作るという旅番組をずっと作ってきました。番組放送後、涙ながらにお電話下さる方もいました。それがとてもうれしくて、「これだ!」と思い、今は頑張っている人の物語を企画にしてニュース番組へ持ち込むことが多いです。
 仕事をしていく中で気づいたのですが、地方の中小企業さんはいいものを作っていてもそれを宣伝するノウハウを持っていないんです。そこで僕は、地道に地域のため社会のために活躍されている中小企業さんを取り上げていくことが使命だと思っています。
 先日も、東海豪雨で何千万もする機械が水没してしまった町工場の経営者さんを取材したのですが、その方はどん底まで落ちても子供のために頑張らねばと思い、機械をドライヤーで乾かすなどして、何とか持ち直し軌道に乗せたんです。当時それを見ていた子供たちが、30歳になって家に戻り今は2人の息子と共に営業している。それがすごくいい話だったので、取材して番組で放送してもらったら、息子さんから「父を取り上げてくれてありがとう」って感謝されました。喜んでいただけると頑張れるんですよね。

安藤 その地方で頑張っている方の情報はどのようにして集められているのですか。

 人づてが多いです。また、岐阜県の産業振興センターの方との繋がりがありますので、岐阜で面白い人がいるという情報をいただく事も多いです。その中から取捨選択して企画を作りテレビ局へ持ち込んでいます。毎週悩みますが、それが楽しいんですよ。

安藤 広いネットワークをお持ちなんですね。

 不定期開催ですが、僕が主催して『疾風怒涛の会』という集まりを4年前から開催しています。メディアの人間と中小企業さんとのお見合いのような会です。その会で、用意していただいた自己PRのチラシを使い自己紹介をしていただいています。実際に集まった人たちがコラボして、何ヶ月か後にメディアに登場したのを観た時はかなりうれしかったですね。また、この場で自己PRの大切さを知った方々から、映像が一番分かりやすいと、テレビ以外の仕事の依頼が今まで以上に来るようになりました。