安藤竜二(以下安藤) 仕事で全国を回っていると、八丁味噌の知名度の高さには本当に驚かされるのですが、そもそもいつからある、どんなお味噌なんですか。
浅井信太郎(以下浅井) 弊社の創業は延元二年(1337年)、始祖・弥治右ェ門が現岡崎市八帖町にて醸造業を始めたと伝えられていますが、「八丁味噌」と呼ばれるようになったのは江戸時代からと言われています。原料は大豆と塩のみ。添加物は一切使用しません。それを高さ約2メートル、直径約2メートルほどある巨大な杉桶に仕込み、その上に400~500個、約3トンもの石を円錐状に積み上げ、二夏二冬(約2年)寝かせるという伝統製法を頑なに守り続けています。一般的な味噌に比べると、時間がかかっているんですよ。水分含有量が少なく、独特の濃厚な風味と酸味があるのが特徴です。
安藤 670年以上もの歴史があるまるやさんですが、企業がこれほど長く続く秘訣は何なのでしょうか。
浅井 旧東海道を挟んで向かい合った「カクキュー」と「まるや」の2社のみによって造られ、お互いが時に協調し、時に切磋琢磨しながらその品質を高めあう努力をしてきたので、長い歴史の中で生き残ってこられたのだと思います。
また、弊社には「家訓」といったものは残っていませんが、3つの信念があります。
1、質素にして倹約を第一とする
2、事業の拡大を望まず継続を優先する
3、顧客、従業員との縁と出会いを尊ぶ、
の3つ。これが秘訣と言えるかもしれませんね。
100年間で50%以上の企業、そして伝統や文化は、何もしなければ、淘汰されてしまうと言われます。それは100 年の中で、例えば戦争があったり、赤味噌しかなかった地域に白味噌が流通してきたり、和食だった朝食に洋食文化が流入してきたり、と状況を激変させるような出来事が起こるから。その中で生き残っていく企業というのは、内にも外にも常に、新しいことにチャレンジしている企業。伝統企業ということに胡坐をかいていては、あっという間に築き上げてきた伝統が崩れてしまいます。
安藤 「まるや」さんといえば有機大豆を使った八丁味噌でも有名ですよね。
浅井 伝統の製法を守りながらも積極的に新しい挑戦をしていかないといけない中で、特に私が入社当時から、社内の反対にあいながらも力を入れてきたのが「有機」。1980年代、まだ有機という言葉が一般的に認知されておらず、他の企業が目をつけていませんでしたが、弊社では有機栽培の大豆を使った八丁味噌を造り、国内ではなく、オーガニックの関心が高まっていた海外へ全て輸出していました。1987年、アメリカ有機食品認定機関OCIAの認証を取得。ヨーロッパ有機認証機関(ECOCERT)、厳しい食品規律を持つユダヤ教のコーシャ(Kosher)の認証も受けています。その監査も海外からやってくるので大変でしたが、その継続の甲斐あって、日本で有機JASの制度ができた時には、すでに弊社には多くの実績があったんです。現在でも毎年相当量の輸出をしているんですよ。
安藤 なぜ有機にこだわるようになったのですか。
浅井 24歳の時、ドイツに留学したのですが、その時現地で出会った人達の影響が大きいですね。就職してサラリーマンになり、日々同じ生活の繰り返しでいいのだろうかという、日本で生活することへの閉塞感、世界を見てみたいという欲求に駆られ、憧れであったドイツの地を踏むことに。それを認めてくれた環境、両親には感謝しなければいけませんね。
当時は固定レート、1ドル=360円の時代。物価が高くて生活は苦しかったですが、ドイツの人達の生活も、決して派手なものを好まず、質素倹約、冷静沈着といったイメージだったのがとても印象的でした。高度経済成長期を迎えていた日本と違い、実に淡々とした暮らしぶりだったのです。そして30年後に訪れてみてもほとんど変わらない風景がありました。この普遍的で質素なドイツのスタイルは、私が会社の中で生かしていこうと目標にしているもの。どんどん新製品を作るのではなく、今あるものを生かす、という考え方もそうですね。
有機との出会いは、現地で日本食を普及していこうとしていた人達や、医学を志してドイツに渡り、マクロビオティック(※1)を研究していた人にお会いしたことがきっかけでした。特にアカデミックな人ほど、日本食やオーガニックの素晴らしさを認める人が多く、彼らが真剣に討論している姿や、その内容に大変共感を得たのです。今後、日本でも有機栽培やマクロビオティックが注目される時代がきっと来る、そう確信しましたね。
※1 本来人間が持っている自然のバランスを取り戻すことを目的とした食事療法