安藤 文献などからではなく、社長の実践、経験が現在の行動の原点になっているのですね。ドイツでの経験が積極的な海外進出の基盤になっているようですが、そもそも輸出はいつからやられていたのですか。

浅井  1968年にアメリカへの輸出を始め、翌年にはヨーロッパへも。私が入社する以前ですが、実際に北欧でまるやの味噌が売られているのを見たこともありました。現在では世界20カ国で販売しています。ニューヨークでは在留の日本人をターゲットとすることもありますが、基本的には現地の方に買っていただくことを狙いとしています。八丁味噌のこだわりを理解してくれる方、健康に気を遣う方、「日本の伝統」として認めていただける方に買っていただけるよう努力しています。

 一般的に、「海外進出」というと現地に工場を作ったりするものですが、弊社では有り得ないこと。岡崎城から八丁離れたこの味噌蔵、この杉桶で造るからこその八丁味噌。事業の拡大よりも継続していくことが優先なんです。

安藤 「まるや」さんには海外からも多くのお客さんが訪れますが、浅井社長自身もよく海外を訪れていますよね。そのバイタリティの強さには感服してしまいます。

浅井 毎年2月は単身渡米し、極寒のニューヨークで自分で作った味噌汁をポットに入れ、レストランに八丁味噌を提案するため渡り歩く、ということもしているんですよ。2月は観光客が少ないので、シェフも話を聞いてくれるんです。特に味噌汁にしてほしい訳ではなく、イタリアンやフレンチのシェフのセンスで、八丁味噌を素材として、どう生かしてくれるのか。そこに期待しているんですね。ちなみに私は、海外では「MR HATCHO」の名で通っているんですよ(笑)。

安藤 海外戦略を進める一方で、地元三河をテーマに行っているプロジェクトもありますよね。

浅井  2007年、三河産大豆と奥三河の天然水で仕込む「三河プロジェクト」を始めました。大豆は西尾のマルミファームの協力で生産された大粒一等大豆、フクユタカを使用。実はこの大豆を生産している杉浦さんは私の学友なんですよ。そして、水には岡崎の保久町でこだわりの地酒を造っている柴田酒造場の柴田社長の出会いから、硬度3の超軟水である井戸水(神水・かんずい)を提供してくださっています。人と人との出会いによって生まれたプロジェクトなんですよ。

 そして安藤さんとご一緒にさせていただいている「サムライ日本プロジェクト」。三河国の武士として、三河を代表する各業種のメーカーさん達と、横の繋がりを持たせていただき、大変刺激になっています。パッケージにサムロックキャラクターを載せていますが、漫画を載せたのは600年の歴史の中でも初めてでしたね。おかげさまで新しい市場、チャンネルに商品を発信するきっかけができました。

 八丁味噌というと名古屋を連想されることも多いですが、地元に感謝し、岡崎の地場産業として、今後も地元をテーマにした活動にも力を入れていきたいですね。

安藤 600年の伝統の上に立つ浅井社長の人間的な魅力、マンパワーが「まるや八丁味噌」さんの強みですね。最後に今後の展開、夢をお聞かせ下さい。

浅井 平成17年に「カクキュー」さんと「八丁味噌協同組合」を発足し、味噌の品質、伝統の維持、文化の発信をテーマに共同で活動を行っています。若い世代や全世界に八丁味噌を発信するため、今後も2社の繁栄を期待しています。

 どんな老舗でも、一番働いているのは社長でなきゃいけません。そして、社員みんなが満足感と公平感を味わうことが大切で、そのための環境作りも私の仕事の一つです。今後は社員にも海外に行って、様々な経験を積み、やりがいを感じてもらえる、そんな環境を作っていきたいですね。

 そして、伝統企業の一大テーマである事業承継。今現在の成功だけを見るのではなく、次の世代がうまくいくための環境を作り、企業としていい状態で継承するのが私の義務ですね。伝統を守る、そのためには攻め続けることが必要。先代が脈々と築き上げてきた伝統を未来へ繋いでいくため、精進していきます。

浅井信太郎 
株式会社まるや八丁味噌 代表取締役


1949年生まれ。1978年に同社に入社し、2004年、現職に就任。ドイツへの留学経験から、オーガニックへの可能性を早くから見出し、有機大豆を使用した有機八丁味噌を発売。国内はもとより複数の海外の有機認証機関の認証を受け、海外20カ国で販売中。八丁味噌の伝統を未来へ繋いでいくために、常に新しい挑戦を模索している。海外では「MR HATCHO」の愛称で通る。

株式会社まるや八丁味噌
〒444-0923 愛知県岡崎市八帖町往還通52 
TEL 0564-22-0222(代) FAX 0564-23-0172
URL http://www.8miso.co.jp