安藤 水野さんが社長に就任し大きく変わったことは。

水野 平成9年(1997年)、四代目社長に就任しました。当時、神社や寺の半纏や暖簾、幕や、ラーメン屋や飲食店の暖簾など、旭川近郊(道北)のお客様が中心でした。よさこいブームも起こり、旭川のチームを中心に受注も増えていました。ただ、社長として、社員とその家族の人生も背負っていることに気付き、次の世代へ会社を続けていくためにも、全国のマーケットに出て行くことが必要と感じました。そこで最初に行ったことが、インターネットを通じて世界中に、マーケットを広げることでした。平成10年、水野染工場でドメインを取得、サイトを立ち上げました。同業他社が廃業していく中、仕入先がなくなり、困った人がどうやって新しい業者を探すのだろう、と考え出てきた答えがインターネットだったのです。当時のコンセプトは「染物語、染めが物語をつくる」染物が語り、染めが物語を作る、これを表現し印染=アイデンティティをお客様に伝える手段として必要性を感じたことも1つです。

安藤 インターネットが主流でなかった時代、先見の明があったのですね。でも、旭川の染物屋がそれに気付くきっかけはなんだったのでしょう。

水野 JCの広報担当委員長に就任したと同時に、ホームページの担当になったことで、知識を身につける環境にあったのです。最初は制作事例を中心に展開していたところ、徐々に注文が来るようになったのです。本格的に専任者を置いて本業にしていったのが、平成19年(2007年)のことです。YAHOO!や楽天が爆発的に人気を博していた時代、インターネットでは既製品の販売が主流となり、オーダーメイドが敬遠されていました。ただ、水野染工場は、発注フローをわかりやすくチャート式にし、「トッピングフラッグ」というネーミングで最初は応援旗のお問い合わせフォームを作りました。それが好評を得、半纏、暖簾など他の商品にも応用していきました。今では、オーダーメイドフォームも作成し高まるお客様の問い合わせ要望にお答えし、デザイン、下絵、染め、縫製まで一貫して行うことができる為少ロットを実現することが可能なのです。

安藤 大漁旗や寄せ書き旗等の製品も手がけていますね。

水野 結婚式や栄転のお祝いなど、様々な「船出を祝う」ということで大漁旗がとても喜ばれています。他にも、寄せ書き旗や応援旗から、飲食店の暖簾やよさこいの衣装なども手がけています。さらに、最近では海外で手ぬぐいがとても喜ばれているようで、会社がノベルティとして海外の展示会に持っていくなど、様々な用途で使われるようになりました。小ロットでの手ぬぐいのオーダーメイドもやっているんですよ!お客様の要望やその背景にある「物語」をきちんとお聞きして、形にしていることが水野染工場の特徴でもあります。日本の伝統文化である「印染」を通じて、「お客様の思っている夢を染めて、形にしていくこと」が創業から一貫して行っていることです。

安藤 現在は直営店も経営されていますよね。新しい展開を行うきっかけは何だったのでしょうか。

水野 年間を通じて安定した生産と売上の確保をするために、平成16年(2004年)4月、東京浅草に初の直営店「染の安坊」をオープンしました。ただ、オーダーメイドで作ってきた会社が既製品を作ることはとても難しく、水野染工場から生まれたブランドが育つまでには試行錯誤がありました。流行のトレンド、マーケット、売れ筋の色柄をコントロールするための専門家によるチームを結成したのです。そして作ったものが「100センチ×35センチ」大判サイズの手ぬぐいです。通常は90センチ×33センチが標準サイズの手ぬぐいを、今の現代人の体型に合わせたサイズにし、さらに特岡というキメが細かい布に変えて品質をあげたのです。同業者のやりたくないことをやれば、誰も真似できない、と取り組みました。おかげさまで好評をいただき、現在では、鎌倉店、そして平成24年(2012年)には渋谷のヒカリエShinQsに出店するまでとなりました。

安藤 その発想力と行動力がすごいですね。創業当時から受け継がれてきた「挑戦」という精神がここにも根付いています。常に挑戦し続ける、水野社長。今後の展望をお聞かせください。

水野 戦前14000社だった印染業も平成元年には1400社、最近では300社、20年後には100社程度になることが予想されています。さらに、紺色に染めた生地に白い顔料でプリントしたものを藍染として販売している業者も存在しています。そんな中、日本の文化である印染を守ること、そして後世に伝えていくことが私の使命だと思っています。その1つとして、染の安坊の4号店をここ旭川の地にオープンさせ、体験型店舗として染めの体験や資料館を併設し、印染業を伝え続けていきます。さらに、農地を購入し藍を育て、その藍で半纏や手ぬぐいを染め、生産まで行うことができる一貫生産のビジネスモデルをつくることも将来実現させるべくビジョンとしておいています。そして、現在創業100余年の水野染工場を200年続く企業に育てること、印染業界のオンリーワン、ナンバーワンを目指す、そこまでできたら、「人間国宝」を狙えるんじゃないでしょうか。(笑)

水野弘敏
株式会社水野染工場 代表取締役社長


 大学卒業後、京都にて修行ののち、水野染工場に入社。1997年四代目社長に就任。お客様と「共に感動」し、真心と感謝を大切にしながらお客様の夢をカタチにするものづくりをしている。創業時からの精神を受け継ぎ、インターネットの導入や直営店の経営など、時代の先駆者であり常に挑戦者でもあり続けている。印染業界の文化を守るため人間国宝を目指している。現在、浅草、鎌倉、渋谷ヒカリエShinQsに直営店を構える。


株式会社 水野染工場 
〒070-0010 北海道旭川市大雪通り3丁目488-26
TEL:0166-29-0000(代) FAX:0166-26-7422
オフィシャルサイト URL http://hanten.jp