平成9年、千葉県柏市で産声を上げた「もえぎ」は、美味しいを大前提にしながら、安心・安全を掲げ、食を通して地域の家族を幸せにしていく。進化を続けるこだわりの豆かん、未来を見据えた食物アレルギー対応のケーキ販売など、新たなチャレンジを続ける安達康平社長に、叩き上げブランディング・プロデューサーの安藤竜二が迫った。

安藤竜二(以下安藤) はじめに「有限会社モエギコーポレーション」の創業について教えてください。

安達康平(以下安達) 創業のキッカケは母が友達に頼まれて買いに行った浅草の″豆かん〟との出会いでした。子供の頃には硬く美味しくないものと思っていた赤えんどう豆が、「こんなにも美味しいのか…」と衝撃を受けたそうです。そこで友達にも食べさせて共感してほしいと思ったそうなのですが、日持ちはせず、配送もしていない、たくさん持ち帰るには重たい、ということで「じゃあ、これを自分で作ってみよう。」と思い立ちました。難題は赤えんどう豆でした。郊外のスーパーには、まだあまり市販されておらず、築地へ買い出しに行き、納得の仕上がりになるまで1年ぐらいかかったようです。そんな頃です。常々「何か自分が打ち込める商売がしたい。」と思い続けていた母だったのですが、父から「この鴨汁うどんの味ができるのなら店をやっても良い」という条件をもらいました。その日から毎日、自宅から隣の県まで高速道路を使って40分のうどん屋通いが続きました。大将に「弟子にしてください」「その年齢で何を言ってるの」、「パート募集が出ているので働かせてください」「遠いからダメだ」の応酬が続いた中、大将が根負けしたんでしょうね、「調理場の隅に立ってもいい」との許可をもらい、やがて「お茶くみしてもいい」という所までようやく行き着きました。ちょうどその頃、店舗の候補地が見つかった、厳密に言うと先に候補地が見つかってしまったようで、その旨を大将に話すと、昆布と鰹で取ったダシ汁、かえしの割合を教えていただき、「あなたの舌でやりなさい」と背中を押してもらいました。そこからは、″お店を出すからには、自分自身がどこよりも美味しいと納得できるものができなければ〟と思い、鴨汁うどんと衝撃の出会いをした豆かんの仕上げに追われるわけですが、1995年12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に「遊膳もえぎ」をオープン。当時、この地域ではあまり馴染みのない豆かんの知名度は当然低く、主力メニューである鴨汁うどんの"鴨"に対する拒否反応もありましたが、"この地に新たな食文化を。"と意気込んでのスタートだったようです。

安藤 想いだけで飲食店をオープンさせるのが凄いですね。開店後に苦労したことなどは無かったのですか。

安達 店舗開店当初、この地域には鴨を食べるという習慣がなく、鴨南蛮という名前の鶏南蛮が当たり前だったようで、″鴨〟というだけで「臭くて、硬くて、脂っこい」と足踏みする方が多い状況だったようです。そんな中でも少しずつお客様に、融点が低く脂が体内に残りにくく、不飽和脂肪酸が多く健康的であること。また火を通し過ぎないことが美味しさと柔らかさの基本であることなどを伝え続けました。暖かい気候で早く育つ東南アジアで飼育されている鴨ではなく、京鴨を使ったのもこだわりでした。結果的に鴨を毛嫌いしていた地域だったにも関わらず、鴨文化を受け入れてもらうことができ、鴨鍋も人気メニューとなりました。そんな中、お客様から「宴会をやりたい」という声をいただき、1998年11月に60席ほどの中規模店「手作り料理 もえぎ」を2店舗目として開業しました。わずかの経験者と学生アルバイト集団でしたが、すべてのスタッフが″我が店〟との自負を持って挑んだ結果、当時は柏市には無かった″串揚げ〟を新たなメニューに加えながら、鴨料理と共に地域の方に親しみ愛してもらえるお店となりましたが、時代の流れもあり残念ながら2007年3月に閉店してしまいました。

安藤 そこからどのように「グランマズグルメ もえぎ」のオープンに繋がっていくのですか。

安達 たまたま自宅で作り手土産にした″豆かん〟を、地元のこだわり食品ばかりを集めた感度の高い繁盛店″京北スーパー〟のバイヤー様に認めていただき、取り引きがスタートしたことや、イベント出店で呼んでいただいたことをキッカケに、もっと突き詰めてお菓子を作り販売していこうと思い今現在に至るわけです。私も2店舗目の飲食店の時には接客として関わっていたのですが、取り引き先の専務取締役との出会いで、それまでの甘い考えや生き方へのお叱りをいただき、″この人に認められる人間になりたい〟と考え方を一新、製造はもちろん、方針や経営に関しても本腰を入れて私も深く関わるようになりました。孫にも食べさせたい、添加物なしの美味の味覚を育てたいという思いを込めて、「グランマズグルメ もえぎ」と命名したわけです。先程もお話しましたが、創業当時からこだわりのある「豆かん」をもっと突き詰めてみようと、自分なりに様々な試行錯誤を重ねていくわけです。

安藤 そんなこだわりの″豆かん〟にはどんな特徴があるのですか。

安達 お客様からは「美味しい」という声をたくさんいただいていたのですが、以前は私自身が豆かんを好きではなかったのです。嫌いだから不満足というか、自分にとっては美味しくない。であれば、″自分自身が美味しいと感じる豆かんを作ろう〟と奮起し、そこから豆かんと本気で向き合うことが楽しくなってきました。寒天も仕込みとなると量もかさみ無駄にすることも多々ありましたし、赤えんどう豆は破裂寸前まで煮るのがベストだと考えていたので、鍋の前で何時間も費やしたこともありました。寒天が柔らか過ぎると歯ごたえがない、かと言って硬くすると酢の匂いが残ってしまうなど、様々な試行錯誤と苦労を重ねました。私自身は外で修行をしたことが無いので、どこがゴールかも分からないまま、自分との戦いと捉えて徹底的にやるしか無かったのです。どんどん追求していくうち、食感や透明度も自分が理想とする寒天に近づけることができました。結果的に、「これで浅草まで買いに行かなくてもいい」「銀座や浅草で食べたのより美味しい」と豆かんをご存知だった方にも非常に高い評価をいただけるようになりました。こだわった製法なので、1日100人分しか作ることができず、大量生産で合理化を進める今の時代には逆行しているようですが、手作りだからこそ引き出せる寒天本来の味、食物繊維を感じられるように作れていることに、今現在は自信と誇りを持ってご提供させていただいております。