どれほどお洒落で素敵な家でも、地震で倒壊してしまうような家では意味がない。「家族の命を守る」という家の第一の役目をしっかりと見つめ、想いをカタチにする商品開発のもと、屋外庭園から続く開放的な「スカイリビング」を分譲住宅で実現させたナカオホーム。中尾研次社長が考えるこれからの家づくりに、叩き上げブランディングプロデューサー安藤竜二が迫った。

安藤竜二 (以下安藤) まずは会社の歴史から教えていただけますか。

中尾研次(以下中尾) 1935年に祖父の中尾義松が創業しました。祖父は大工の棟梁で、神社や商店街の改修から一般の住宅まで、地域に頼られる工務店として”街づくり”に関わっていました。面倒見が良いと評判で、職人たちを熱心に指導し、”人づくり”にも力を注いだと聞いています。その後、父の中尾高一が二代目として仕事を継ぎ、高度経済成長の波に乗って事業が拡大すると、社業化し中尾建設工業株式会社を設立しました。そして、これからもっと大工が必要とされる時代が来ると考え、1970年に大工を養成する職業訓練校を開校しました。祖父の”人づくり”に共感したのだと思います。
        
安藤 先代の”街づくり”、”人づくり”が受け継がれ、地域に貢献しつつ時代に先駆けて会社は大きくなっていったのですね。

中尾 大工の訓練校を開校して20年間で、木造一級技能士を多数輩出したことは我が社の誇りです。訓練生は卒業後、色々な工務店で技術を認められ腕を振るい、弊社の社員として現在も活躍しながら、西三河の大工技術水準を大きく引き上げることに貢献しています。

安藤 中尾さんはいつ入社されたのですか?

中尾 大学卒業後は東京で住宅販売の営業や現場監督として修行を重ね、1994年に31歳で入社しましたが、その頃の日本の建築業界では当たり前とされていた家づくりの考え方に不安を感じました。「日本の住宅は本当に強い住宅なのだろうか」そんな漠然とした疑問とともに頭に浮かんだのが、アメリカで度々起こる大洪水で川に流されるイカダのような家々。家が形を残したまま川に浮かんでいる光景が、アメリカの住宅に興味を持つきっかけに。当時、日本の家は25年で償却されていましたが、家の寿命は世界平均でも48年。アメリカでは50年を超えて住み続けられるどころか資産価値が上がったりします。これらの家が 2×4(ツーバイフォー工法)の家と知り、日本に取り入れたいと思いました。そして今後の日本の住宅事情をよくするためにも、丈夫で資産になる家をつくるためにも、日本の風土に合わせた2×4で、アメリカより精度の高いものにしたいと強く思いました。

安藤 2×4の家を会社で導入するまでには時間がかかりましたか?

中尾 入社した年に開発を進めたわけですが、その翌年である1995年に阪神淡路大震災が起きました。私は副社長とともに現地に出向き、被害に遭われた方たちの話を聞いてまわりました。そこで耳にしたのは「地震で倒れるような家をつくる工務店は、人殺しだよ」という衝撃的な言葉。家をつくる者たちへのストレートな怒りでした。神戸市内の死者のうち、86%が建物の倒壊や家具の転倒を原因とするもの。「命を守る家をつくって欲しい」という被災者の方たちの切なるメッセージは、この記憶とともに今もずっしりと心に残ったままです。親しい隣人を失くし、その話をされた方の倒れなかった家屋は、言うまでもなく2×4の家でした。私は会社に戻るとすぐに社員や業者を集め、宣言しました。「命を守る丈夫な家をつくろう。そのために従来の家づくりを辞め、2×4の家づくりだけをしていきます」と。誰も反対する者はおらず、全社員が協力体制でやり抜く覚悟が決まりました。
安藤 とはいえ、一気に2×4工法に転換するのは大変だったと思います。

中尾 設備や組織を大々的に変更して、父親が半生かけてやってきたことをひっくり返すわけですから、この大改革には相当な労力がいりました。まずは2つの工場を一掃して2×4のラインを新設。そして2×4の要となるフレームを自社製造するだけでなく、作った人間が現場に運んで組み立てまでを一貫して行う”マルチフレーミングシステム”を完成させました。同時に、自分たちだけですべて創り上げるこのシステムに欠かせない専門のフレーミングスタッフの採用・育成にも力を入れました。若いスタッフたちと多くの時間を共に過ごし「命を守る家をつくる。その要となる丈夫なフレームをつくるのが、我々の使命だ」と常々伝えてきましたが、その想いが浸透して自分たちの仕事に誇りを持つようになり、より良いものを作りたいという意識にまで高めることができました。  2×4では一般的に生産・配送・組立がそれぞれ分業で行われるため、完全自社施工であることが弊社の強みです。分業で生産性を上げることよりも、家を大切な贈り物として最後まで手をかける。そうすることで完成度の高い丁寧な家づくりが可能になり、そこで改善を繰り返し、積み上げてきたノウハウこそが新たな家づくりを可能にしてくれます。高度な商品開発で想いをカタチにすることができるようになったのは、完全自社施工だからだと思っています。