自動車業界では若者のクルマ離れが取り沙汰されているが、教習所に通わない「免許離れ」が深刻化し、少子化問題とあいまって自動車教習所も苦境に立たされている。警察庁が発表した統計によると、指定自動車教習所の卒業者数は20年前に240万人超だったのが、2012年には158万人にまで減少。ここ10年で114もの教習所が閉鎖している。そんな中、「ほめちぎる教習所」として三重県で入校者数1位を不動のものとしている南部自動車学校の加藤光一に、地域ブランドプロデューサーの安藤竜二が迫った。

安藤竜二(以下安藤) 南部自動車学校さんの歴史について教えてください。

加藤光一(以下加藤) 1960年(昭和35年)、指定自動車教習所制度が確立、都道府県の公安委員会が資格要件を満たした民間の教習所に「指定」を与え全国に自動車学校が設立される中、1962年(昭和37年)、父が伊勢で初めての自動車学校「南部自動車学校」を創立したのが始まりです。2012年(平成24年)には50周年を迎えました。

安藤 1960年というと、まだ車社会ではない時代だったのでは。

加藤 創業当時は、免許取得をする人も少なく、拡声器を持ち「免許を取りませんか」と駅前で営業することが多々あったそうです。1964年(昭和39年)の東京オリンピックの頃から急速に日本のモータリゼーションが進み、数年後には自動車学校に入るまでに何ヶ月待ちというような状況になったそうです。その後、伊勢近郊の町にも新しい自動車学校が設立され、小さな地域に3校の自動車学校が熾烈な過当競争を行う時代に突入。1校が倒産するなど、苦しい時代が続くこととなりました。価格での競争は互いに疲労することが分かり、南部自動車学校は、ここから他校との差別化を考えるようになりました。

安藤 なるほど、それが現在の南部自動車学校さんの基盤になっているわけですね。加藤さんが入社されたのはいつでしょうか。

加藤 大学卒業後、東京の商社で働いており、父の依頼で戻ることを決意。東京の自動車学校で修行したのち、1993年(平成5年)、30歳で入社しました。1991年(平成3年)は第2次ベビーブーム世代の子供が18歳になり、まだ、少子化への危機感は殆どない状態でしたね。ただ、教習所の良い時代を知らない私が感じたのは、これからの少子化に対する閉塞感でした。今年生まれた子供が18年後の入校者数に直結するため、数字が減っていくのが目に見えてわかりました。頑張っても入校者数は減っていく、これでは社員に夢を与えられないのでは、と悩む毎日でした。

安藤 18年後が見えるビジネスなんですね。そんな状況を打破するために、始めたことは何だったのでしょう。

加藤 まずは経営理念を作り直すことからはじめました。社員にやりがいを持たせてあげることが必須だと考えたのです。「心と技の交通教育を通じ、お客様の永遠の安全を提供する」ことを理念としました。そして、その理念の実現のために1997年(平成9年)には、入校から卒業まで一人の指導員が担当する「担任制度」を導入しました。

安藤 自動車学校で担任制度というのは珍しいのでは。

加藤 はい、この制度を採用しているのは、三重県で当校だけです。この担任制度を導入するまでには紆余曲折がありました。三重県下では実績もなく、「指導に情が出たらどうするのか」「指導員によりスキルに差がでるのでは」など、公安委員会より難色を示されました。自分の教え子が事故したことを考えれば、余計に厳しく指導するはずだ、教え子の無事故無違反率、検定の合格率など個人評価をオープンにすることにより、南部自動車学校の指導員の教習力の底上げになる、と何度も説明に通いました。スタートするには2年半の月日を要しました。

安藤 2年半もですか。すごい思いですね。その思いは何だったんでしょう。

加藤 人を教える仕事は面白かったのですが、毎日同じ項目を教えることを退屈に思いはじめたのです。指導員としてのやりがいはなんだろう、と考えたときに、生徒の成長の過程が見えることだと結論に至ったのです。さらに、1対1で指導をしないと、経営理念の「心と技、永遠の安全」は伝わらないのではないか、と思い決断したのです。担任制度をはじめて4年後、ある指導員が癌で亡くなりました。彼が指導した生徒数百人に電報を打ったところ、多くの担当した生徒から電話をいただき、また、葬儀に参加してくれたことで、心に残す教育とはこういうことだと実感し、担任制度を定着させる決意を新たにしたものです。

安藤 担任制度が導入されて変わったことはありますか。

加藤 一番大きく変わったのは、教習に対する姿勢です。教習時間の最後の1秒まで教習しようとするなど、以前より指導員が真剣に取り組むようになりました。自分の生徒は大切にし、個人評価にも直結しているため、皆が必死で教習に取り組みます。指導員は常に30名ほどの生徒の管理から予約管理まで全て自分で行うため、非常に大変な仕事なのです。ただ、一生懸命指導するから紹介も増えていくため、向上心を持ち取り組む指導員が多くなりました。2004年(平成16年)には三重県下で、普通車入校者数1位となり、現在に至るまで常にその座を保持しています。社員の頑張りが数字として現れた結果でした。

安藤 三重県下1位はすごいですね。最近では、合宿制度も導入されていますね。

加藤 伊勢でターゲットの75%が南部自動車学校に入校していただくようになったのですが、少子化の波が大きく、このままでは、社員の数を更に減らすしかないだろう、と。であれば、県外から生徒を呼ぶ方法を取り入れようとしました。ただ、この合宿制度も三重県は実施している教習所が無く、「非常に好ましくない」との反応でした。前例がないこと、短期間での教習は粗製乱造になる、というのが理由でした。ただ、基準が変わるわけではないという自信があったので、2011年(平成23年)、しっかりと説明し、スタートしました。担任制度も合宿制度も三重県ではどちらも唯一の自動車学校です。三重県はもともと保守県なので、反対されてまで他の学校はやらないのでしょうね。(笑)ただ、どちらの制度も一長一短があります。一長を大きくし、一短を短くすることに常に挑戦しています。