福井県に昔から根付くお墓業界を変えたい! と日々奮闘している若者がいる。テニスでは、引退するまでの7年間、県ナンバー1の座を譲らないほど1位に対する強いこだわりを持つ。そして、父が病気で倒れたのをきっかけに家業を引き継ぎ、石材店でも県内トップを目指そうと決意。常にチャレンジし続ける坂川昌史に、サムライ日本プロジェクトの安藤竜二が迫った。

安藤竜二(以下安藤) 坂美石工所さんの歴史を教えてください。

坂川昌史(以下坂川) 私の父が1965年(昭和40年)に設立しました。今年で創業46年です。最初は石垣積(自然石)を主に仕事としていたのですが、施工の早さと正確さが口コミで広まり、護岸ブロック工事が軌道に乗りました。そこで、1978年(昭和53年)にお店を国道365号線沿いに出すことにしたそうです。その結果、建築関係の仕事も増加し、お墓までも頼まれるようになり、現在の坂美石工所となりました。その時点で大型機械の導入も済ませており、石選びからデザイン、施工まで全ての工程を自社で行う設備がありました。

安藤 お父様の跡を継ごうと思ったきっかけは?

坂川 跡を継ぐ気は全くありませんでした。幼いころから父の背中はよく見ていたので石材店の仕事がとても過酷で大変な事をよく知っていたのもありましたし、実は高校・大学ではテニスに力を入れていたので社会人になってからもテニスで全国大会上位進出を目指したかったので、大学卒業後、テニスクラブでコーチのバイトをしながら、自分のテニスの技術に磨きをかけていました。しかし半年ほどバイトを続けたある日「今は社員は雇わない」と言われたので「だったら…」と思い、自らバイトを辞めました。それで、継ぐ気がなかった家業を簡単な気持ちで継ぐことにしたんです。

 始めた当初は、現場で修行をしながら17時になったら家へ帰り、テニスでの全国大会上位進出のためトレーニングをしていました。ほんと石材店の仕事は2番目だったということを今でもしっかり覚えています。しかし、昨年の6月に父が脳梗塞で倒れまして、それを機にテニスを辞めたんですが、実はそれまでの2003年~2010年の間ずっと、ランキング1位の座を1度も開け渡しませんでした。その時は、「絶対にトップの座は譲らない」という気持ちで仕事とテニスを両立させていました。何をやるにしてもトップじゃないとイヤなんです。超がつくくらい負けず嫌いですし、勝利への強いこだわりもあります。だから、現在仕事にしている石材店でも絶対にお客様満足度ナンバー1を目指し日々努力しています。現に他の石材店には真似できないサービスを次々と考え実行しています。

安藤 この地域の石材店業界について教えてください。

坂川 福井の田舎ということもあり、一言で言うと昔気質の業界です。地元に根付いた石材店さんが多いので、お寺とのつながりもあって営業しなくても受注があります。だから、しっかりとした接客を勉強しない石材店が多いんですよ。私が跡を継いだ当初の坂美石工所も同じでした。会社でのお客様に対しての言葉遣いや、工務店さんとの話し方が全く出来ていなかったんです。敬語も話せない接客や、口約束で物事を進めるやり方に疑問を持ちました。

 また、お客様は、お墓の知識を持っていないのが普通です。だから、石材店に言われるがまま建ててしまう。私はそれは違うと思うんです。さらに、国内加工から中国加工が多くなり、価格競争も激しくなってきたから、どんどん儲け優先になり、お墓が本来持つ意味が失われてしまっていると思ったんですね。その現状に愕然として、28歳のときに他の業界が見たいと思い退社を決意しました。

 その後、大手携帯電話ショップに就職したんです。そこでお客様との接し方や電話の話し方、営業トークを学びました。そして3年目を迎えたある日、母から電話で「父のひざが悪くなって仕事がまわらなくなったから戻ってきてほしい」とお願いされたんですね。それで、「ココで学んだことを生かしてお墓業界を変えたい!」と思い、戻ることにしました。